なすねこの記録帳

不定期で適当にやります

正論

正論は誰にとっても正解というわけではない。そう気づいたのは高校生になってからくらいです。宿題の提出期限が迫っている友達が「やばいんだよね〜まじ死ぬわ。」と言ってきたとして「自分が貯めてたからでしょ」と返すのは正論ではあっても友達に対しては正解ではないですよね。ここでの正解は正論をぶつけるのではなく「そうなんだ。何の?」「どのくらい?」「いつまで?」「そっか〜それはやばいわ。」とかだと思います。中学生の時の喧嘩、私は変にませてたからいじめられてもやり返したら負けだと思っていました。大人の世界では正解だけど中学生のいじめでは多分正解じゃないです。

正論が誰に対しても正解だと思ってたのはそういう母を見て育ったからです。母の正論はいつも正解でした。母とはそういうものであると思います。親は子に対して正論を言い、それに反抗する子もいれば、素直に受け入れる子もいます。私は素直に受け入れる側の子でした。反抗期は母の正論に対して「そうだけどさぁ!!」と行き場のない感情をぶつけることだと思いますが、私は母の正論に対して「確かに…」としか思いませんでした。

これは私にとって正論が正解であっただけで、私が他の人だったらまっすぐ反抗期の子供になっていたと思います。実際姉はそうでしたし。

これ難しくないですか?私はシングルマザーの家庭で育ったので、もし自分に子供ができて何かをお小言を言うことがあったらまっさきに脳内に浮かぶのは正論だと思います。それを一回飲み込んで最適解を探さなければ嫌われてしまいます。今から育児の心配してどうするんだって話ですが。

しかし子育てにおいて嫌われたくないと思うのは必然でも、正論を言わなければならない時が来ます。正論と正解のバランスが大事なんだと思います。私は未だ無意識に人を傷つけてしまうことがありますが、これからそのバランスを見つけて行ければいいと思います。

ちなみになんで高校生の時にこのことに気づいたかというと、一言も喋ったことないやつから嫌われていることに気づいたからです。